みなさん、こんにちは。ドクターKです。
今回はパリ国際空港のまとめです。
今回パリにはJALで行きました。
シャルルドゴール空港には今まで2回行ったことがあります。
1回はパリに滞在しました。
これはだいぶ昔なので、ブログにはまとめていません。
今回はチェコに行く際に経由しました。
ちなみに、空港に行くバスからこちらが確認できました。
シャルルドゴール空港といえばコンコルドですよね!
パリ=シャルル・ド・ゴール空港
フランスの首都パリの国際空港です。
戦時中に活躍した大統領の名前をとっているらしいです。
欧米はこういうのが当たり前なのでしょうか?
日本では総理大臣の名前の空港、なんてありえないですよね。
あ〇空港。とんでもないです。
〇きえ空港、とかやりそうですけどね。
昔の総理大臣ならありえるのでしょうか。
こちらの空港ではターミナル1~3があります。
ターミナル1が円筒状の珍しいターミナルです。
空港内の様子
まずは空港内の様子からです。
丸っこい天井が特徴ですね。
今回は日本航空です。
日本航空は必ず2Eターミナルからです。
かなり広いですね。
この第2ターミナルはA~Gまであります。
その一つ一つがシャトルで移動しなければいけない長さですよ。
2Eターミナルにはこのようなところもあります。
レトロなゲーム機が並んでいます。
こちら、すべて無料になっております。
でも、子供があまりおらず、懐かしさを楽しむおっさんばかりです。
小さい子供専用の遊び場もあります。
2Eターミナルの食事処
食事するところを探しましたが、ほとんどありません。
スタバ、回転ずし、軽食くらいです。
レストランとかないですよ。
今回はこちらで食事をとりました。
ペットボトルの水が500円します…つらい。
こちらのヨーテルラウンジ…
史上最悪のラウンジです。
こんな思いをするなんて…
ラウンジも最悪ですが、対応するパリ人のやる気のなさと対応力の低さ…
ちょっと離れたラウンジにわざわざいっても、こんな状況に会うのならば、我慢しかないですね。
2Eターミナルのショップ巡り
ここは、さすがパリです。
ラ・メゾン・デュ・ショコラ
フランスの超有名チョコレート店です。
1929年9月17日、ラ・メゾン・デュ・ショコラの創始者、ロベール・ランクスがバイヨンヌで生まれる。
将来ロベール・ランクスがショコラティエになることを予見させるものはまだ何もなかった。バイヨンヌでパティシエになる道を選んだのは18歳のときである。父はロベールにこう諭す。「職人になろうと決めたなら、びりっけつには活躍の場はないということを決して忘れるな」。1950年代、ロベール・ランクスはスイスのCOBA(バーゼル国際チョコレート学校)で職業訓練を受けながらチョコレート作りの技を磨く。その後、パリのレストランで2年間見習い修行をする。
1954年4月26日、ジゼルと結婚。
28歳の時、ロベール・ランクスはパリのワグラム通り121番地にあったパティスリー=コンフィズリー「ラ・マルキーズ・ド・プレール」を買い取り、パリに初めての自分の店を開く。彼はこの店をデリカショップとしてスタートさせ、以後二十数年間、店の経営を続けた後、ガストン・ルノートルに売却する。
20年が経過し、ロベール・ランクスは「チョコレート本来の気品を余すところなく伝える」という自分の夢の実現へ向けて一歩を踏み出す。48歳の時、「ラ・メゾン・デュ・ショコラ」を創立、1977年10月26日、フォブール・サントノレ225番地のカーブ・コゼットがあった場所で、サル・プレイエルの向かいに、チョコレートのみを扱う専門店をオープンする。
ということらしい。
こちらもパリのお店、ラデュレです。
メゾン・ラデュレは、1862年にフランス パリで創業しました。カフェとパティスリーを融合させたパリの"サロン・ド・テ"の歴史を創り上げ、150年以上もの間、l'art de vivre à la française(フランス流美しき生活)を象徴する格調高いメゾンとして、またマカロンを生み出したFabricant de douceurs (美食の作り手)として世界中の人々を魅了しています。
色とりどりのおいしいスイーツ、洗練されたお食事、美しいパッケージや夢のような雰囲気の店内は、ラデュレらしい甘い幸福感とともに、今も進化し続けています。
どちらも日本にはありますが、きっと現地の方が安いはず。それでも…
MICHAEL KORSや
ROLEX、LONGCHAMPもあります。
おまけ
さすがはパリです。
コンコルドもかっこいいけど、墜落話もあります。
コンコルド墜落事故(コンコルドついらくじこ)は、商業用超音速旅客機であったエールフランス所属のコンコルドが2000年に離陸直後に墜落した事故である。コンコルドの人身死亡事故としては唯一の事例であるが、安全性に重大な疑念が生じたため当局により耐空証明が取り消され、コンコルドはこれ以降長期にわたり運航停止となった。2001年11月7日に運行の再開が認められたが、直前に発生したアメリカ同時多発テロによる世界的な航空不況によりコンコルドが退役したために、これが最初にして最後の墜落事故となった。
速すぎるのも考え物なのでしょうか。
あと、全体的に水とか高いんですけど、変わったものもありました。
EVIANって水だけじゃないんですね。
このevianも珍しいですね。味付きです。
最後までお読みいただきありがとうございました。